活動報告書(2011-2013)

 

『仮設住宅×緑のカーテン』プロジェクトに関心をお寄せ頂いた皆様、共に活動して頂いた皆様、ご寄付を頂いた皆様へ。

 

冒頭、皆様の深い御厚情に御礼申し上げます。

 

 

 『仮設住宅×緑のカーテン』プロジェクトの事業期間満了に伴い、この3年間を振り返りご報告申し上げたいと思います。

東日本大震災を受け、2011年3月下旬に開催したNPO法人緑のカーテン応援団(以下『応援団』といいます。)臨時理事会にて『陽射しの強い夏場、断熱材の薄い仮設住宅では過ごし難いであろう。』との意識を共有し、仮設住宅へ陽射しを遮る緑のカーテンをお届けする活動をさせて戴くことになりました。 

まだ仮設住宅は何戸必要か不透明な時期でした。それは5万戸とも10万戸とも言われ、その推移の表れは途方もない数の人々が被災された証であり、応援団という特異性をもったNPOの長所を生かす活動をするべきとする気持ちと、一早く支援をしなければという葛藤の中でした。

応援団では『仮設住宅×緑のカーテン』プロジェクト立ち上げに際し、その事業規模の大小またはその意義について深く協議を行っていました。

小規模で関係性を持てるコミュニティと、緑のカーテンの楽しさを共有し長く継続する活動をすべきとする意見。これは非常に重要な指摘であり正論でありました。一方、大量に完成に向かう仮設住宅の全てに緑のカーテンをお届けしたいとする思いも強く、充分なケアはできないかもしれないが、緑のカーテンを育てながら隣近所で助け合う関係性ができることも期待しました。

そして応援団だけでは全ての仮設住宅へ緑のカーテンを届けるのは困難なスケール感から、全体の半量程度の仮設住宅へお届けするニュースリリースを行い多くの応援者と出会うことを期待し方針を決定しました。

 

ニュースリリースタイトルは、『NPO法人緑のカーテン応援団 仮設住宅3万戸に緑のカーテンを!』とし、その意味や支援の輪を広げて行く機運を報道に期待しました。

この記事は被災地域付近のボランティア団体へメッセージされ、全国へ届けられました。様々な団体や企業、そして個人が本プロジェクトを支援してくれました。そして応援団と同じ気持ちを持った出会ったこともない様々な団体が、直接的に緑のカーテンをお届けする活動を始めました。

3万戸の緑のカーテンを被災地に届けるには1億5000万円の寄付が必要と試算しました。グリーンネットやフックやペグ、土や肥料やプランター、そして苗。ひとつの緑のカーテンを2500円で見積り、1所帯当たりふたつの緑のカーテンをお届けする計画でした。

そんな規模の募金活動が本当に成し得るのか。応援団は収益事業もなく財力も薄く、コアメンバーも少ない専任者不在のNPOです。そんな応援団がこの途方もないプロジェクトに挑もうとしたのは、東日本大震災の揺れを東京で体験し、身近な問題と感じたからに他なりません。

 

応援団理事の企業経営者から大型寄付を頂戴し当初の活動資金を捻出しました。その後は次々とご寄付を賜り、早々に1000万円以上の志が集まりました。資材メーカーや種苗会社からも物資提供を頂戴し、初年度は寄付資材を運搬し人海戦術で緑のカーテンの設置を行うところからスタートすることになりました。

しかし、多くの仮設住宅への緑のカーテン設置作業は、応援団メンバーだけでは人員不足であり多くのボランティアを募る必要がありました。設置者が緑のカーテンの価値や楽しさを事前に学んで頂く必要があるのですが、残された時間は少なかったのです。

そんな折、旧埼玉県立騎西高校へ福島県双葉町の皆様が一括避難されると報道があり、緑のカーテン設置支援をさせて戴くことになりました。

もともと応援団の緑のカーテン支援は板橋区立板橋第七小学校の総合的な学習の時間でのトライが始まりで、大型の学校への緑のカーテンの設置計画はよく理解しており難しいことではありません。しかしその設置には多くのボランティアが必要でした。

応援団全員で始めたFacebookで埼玉県でのボランティア募集を行い、「被災地までは行けないけど埼玉県で支援できるなら…」と思っている方々に多くの参加を頂きました。

設置日には騎西高校付近の公会堂をお借りし、双葉町の皆様と新たにご参画頂いたボランティアスタッフのための『緑のカーテンの涼しさや楽しさ』をテーマとした講演会を開催しました。騎西高校での緑のカーテン設置の価値をお伝えし、共に設置作業に汗を流すことができました。緑のカーテンの楽しさを知るボランティアは騎西高校だけでなく仮設住宅への支援に乗り出す気運が作れたことをうれしく思い出します。

騎西高校での緑のカーテンは地元埼玉県の職員の皆様や双葉町の皆様も大いにご活躍頂き首尾よく設置されました。余った時間は双葉町の皆さまが率先し鉄筋を切断し曲げ仮設住宅に緑のカーテンを設置するための手製のペグを作成しました。双葉町の皆様の汗の染み込んだペグを車に積み上げ、被災地へ向かったのを覚えています。

 「仮設住宅×緑のカーテン」プロジェクトは決定しましたが、応援団には被災地の知人はおりません。でもたった一人の仙台市議会議員の方がいる。此処だけを頼りに現地入りするのですが、この方が応援団の活路を大きく開いてくれました。一人ひとり被災地行政の首長をダイレクトにご紹介頂き、ご説明の機会を頂戴し、都度仮設住宅の仮自治会長との会合を頂きました。またFacebookの志を同じくする新しい知人からも様々な素晴らしい方をご紹介頂き、爪の先に僅かにかかる縁を大切に手繰り寄せながら、『仮設住宅×緑のカーテン』プロジェクトを広げることができました。

翌年も同様にプロジェクトは推進しましたが、国が『仮設住宅の暑さ寒さ対策の一環』として緑のカーテンを補助金対象とし、応援団の活動とは別に福島県岩手県を中心に約14500世帯へ緑のカーテンが設置されました。これは仮設住宅へ居住し1年が経過する頃でした。 

その頃、仮設住宅を管轄する行政では新たな危惧を抱いていました。居住者が仮設住宅から外へ出る機会が少なく『生活不活発病』の防止策を講じる必要があったのです。

仮設住宅の暑さを緩和する意味合いを持つ緑のカーテンが、植物をお世話することで外へ出る機会となり新たな価値が見出されてきました。また住棟間隔の狭い仮設住宅は人の視線を妨げる樹々や設計配慮はなく、緑のカーテンが夏の解放される窓辺のプライバシーを守ることに効果が高いと気付き始めたのもこの辺りからでした。

 

3年目の夏。

プランターやネットなど必要備品のあることを前提とし、ご希望を頂いた仮設住宅へ苗をお届けする活動を行いました。一部設備の整っていない仮設住宅へは全ての資材を用意し、お届けする活動となりました。

充分に緑のカーテンを楽しんで頂けた仮設住宅もあれば、苗の存在に気付かず機会を逸したということもあり、お約束の3年目を素晴らしいものにするつもりが応援団の配慮不足もあり『来年こそよろしくお願いします。』と逆に励まされたりすることもありました。

 

緑のカーテンは全ての方が綺麗に作られたわけではありません。植物を育てるのが苦手な方は枯らしたことを謝られた方もいます。でも鉄とアスファルト、砂利に囲まれた仮設住宅に映える緑のカーテンはそこに暮らす多くの方々に潤いを与えることができたと思います。

緑のカーテンを設置した仮設住宅には、その他の花々や野菜などのプランターが多く見られました。仮設住宅周りの敷地に植物があることが暮らしを豊かにするという、被災前では当たり前だったことに気付ける機会となったように思います。恐らくそれは仮設住宅へ訪れる方にも感じて頂けたと思います。

東北の地に訪問するたびに思うのは、ボランティアが減少し、復興住宅完成に連れ仮設住宅が歯抜けとなり、まだ自立の機会が訪れない方が残り、コミュニティ力が低下しています。この傾向は更に進んでいくように感じられます。

もちろん仮設住宅は仮設であり不要になることが前提です。しかし其処には厳然と人の暮らしが存在している。この緩やかな変化が前向きに感じられるような力が仮設住宅には今後も必要になってくると思います。

 

東日本大震災より2年6ヶ月が経過しました。

しかしまだ復旧さえ成し得ていない。

 

これをNPO法人緑のカーテン応援団の『仮設住宅×緑のカーテン』プロジェクト活動報告とさせて頂きます。現在応援団内部で今後の活動について、活発な意見交換をしています。仕切直しを行いフェーズを変え再びスタートする所存です。

今後ともご理解ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

 

NPO法人緑のカーテン応援団

理事長 鈴木雄二